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ベトナム王女アニオーと長崎商人の物語



16世紀末~17世紀初めころ、1635年ころに江戸幕府が海外への門戸を閉ざし『鎖国政策』に転じるまで、日本の旧政権、豊臣幕府、江戸幕府初期の時代、東南アジアへ向けて幕府発行の貿易通称許可証である『朱印状』を受けて大阪、堺、長崎の『豪商』は、フィリピン、ベトナム、カンボジア及びタイ等の東南アジア諸国へ『朱印船』を仕立てて、日本からは銀、銅、漆器を輸出し東南アジア諸国からは生糸、絹織物、砂糖、鹿革などを輸入する、海外通商を広く展開する『大航海時代』が存在しました。闊達な日本商人は各港周辺に『貿易拠点』を構え、中でもマニラ及びアユタヤの『日本人町』がよく知られています。カンボジアのアンコールワットにはその当時の日本人の落書きが残されているそうです。
さて、本題です「荒木宗太郎」のお話です。安土桃山時代の御朱印貿易商人で、長崎から安南国(現在のベトナム中部)へ赴き、安南国の主君から信頼を得て王女と結婚した日本人の豪商のお話です。宗太郎はベトナム安南国の君主王の娘と恋に落ち、ご朱印船に王女を同乗させ故郷の長崎で幸せな日々を送ったようです。彼女は天真爛漫な性格で宗太郎へ向けて大きな声で『アイン・オーイ』と街中で呼びかけていました。その微笑ましい王女を長崎の街の人は『アイン・オーイ(和訳:あなた~)』を『アニオー』と訛って聴き取り、彼女のことを『アニオー姫』と愛称していたとのこと。彼女は生涯を長崎で過ごし、アニオー姫の長崎へ輿入れの様子は、今も長崎の祭事『長崎くんち』おいて、7年に1度『御朱印船』の演目で再現され続けています。2023年の日越国交回復50周年を記念する行事の一連として『宗太郎とアニオー姫』をオペラに仕立てた新作『アニオー姫』を創作し記念上演しました。二人は、長崎市内の大音寺にある荒木家のお墓に仲良く一緒に眠っているそうです。次の100周年に向けて更に良好な日越友好を築きましょう!


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