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日本アニメ雑感①



今回は30年以上前の古くて緩い話です。同じ職場のアメリカ人の同僚との会話で『日本アニメ』に関して話題になったことがあり、『マッハGo Go Go』というアニメ作品について熱く語られたことがありました。その作品は自動車レースチームの面々が世界各地のレース場で繰り広げるドタバタを描いた、著者が小学生高学年のころテレビで放映された漫画(MANGA)で、アメリカでは1971年ころに『Speed Racer』という題目で、全米向けに放映され何度も再放送されていたそうです。同僚曰くその作品は米国内で製作されたアニメと信じて疑わず、しばらくたって成人した後にその作品が『日本製アニメ』だったと気づき驚いたそうです。著者が思うにその作品の人物は日本人離れした外国人風情の『無国籍風』な趣で描かれており、もしかしたら、海外展開を視野に入れて制作された一品だったかも知れませんね。この作品は多くのアメリカ人の心を捉えたか、30年後に実写版としてリメイクされました。
さてさて、お隣のタイ国では70年代の昭和の時代に席巻した日本の特撮ドラマ『仮面ライダー』が大きな反響を呼び40歳代の年齢層にヒーローとして大きな影響を与えたようです。『オートバイ大国のタイ』で、オートバイにまたがり大活躍する特撮ヒーロー『仮面ライダー』が流行するのは頷けますね。よって、当然、隣国のベトナムでも同様な現象が起きていたと著者は想像していたのですが、ネットで調べたところ南ベトナムではタイほどブレークしなかったようですね。東西冷戦時代のベトナムは『南北』に分断され世界的に大きな問題の一つとされ人々の頭を悩ませていましたが、製作者側の情報によりますと『仮面ライダー』を製作するに当たり、当時の『南ベトナムの状況』が物語の起案に影響したとのことです。余談ですが、戦後特撮ヒーロー『ゴジラ』は『当時の水爆実験』をモチーフにしていましたね。著者が想像したほど『仮面ライダー』は『南ベトナム』ではさほどブレークしなかった様ですが、それでも今回は『仮面ライダー』について強引に言及します。原作者の『石ノ森章太郎(イシノモリ ショウタロウ)』は1938年生まれで60歳の若さで1998年に亡くなりました。高校生のころから漫画創作活動に勤しみ、既にその頃から日本の漫画界の手塚治虫先生に着目され、卒業後に東京へ招聘され手塚先生の助手としてプロとしての活動を開始されたようです。石ノ森先生は多くの大作を残し中でも著者は『サイボーグ009』と『仮面ライダー』が代表作であると考えています。『仮面ライダー』の原作者石ノ森先生は東北地方の宮城県出身で、亡くなる数年前から縁のある『石巻市』と『石ノ森漫画博物館設立』の構想を練っていたようです。博物館は先生が亡くなった3年後に完成し、『石ノ森萬画館』その英文(ローマ字)名称は『ISHINOMORI MANGATTAN MUSEUM』と先生の存命時に名付けられたようです。『MANGATTAN』とは聞き慣れない造語ですが、博物館が川の中州に立地されることからニューヨークの中州『MANHATTAN』をもじって命名したようです。その博物館は大型フィギュアなどの多くの石ノ森キャラクターが展示されているいたそうです。2011年3月10日までは。


運命の日:東日本大震災

2011年3月11日、東北地方は大地震による壊滅的な震災が発生し、岩手/宮城/福島の3県で凡そ1万3千人の方が亡くなり、その内90%以上の1万2千人の方が大津波に飲み込まれ溺死されたそうです。太平洋岸には20mを超える津波が街を襲い壊滅的な被害をもたらしました。石巻市の河口元洲に位置する『石ノ森萬画館』へも7mを超える津波が襲い窓等を破壊し、惜しくも『貴重な展示物』も外へ押し流されてしまい、沿岸に沿って走る電車車両や線路を巻き込み甚大な被害をもたらしました。その悲劇から13年間を経過した現在、街のシンボルとして『石ノ森遺産』である『萬画館』を再興し、特に街中の主要道路に石ノ森作品に登場する多くの『キャラクター像』を要所に配置し、訪れる人々を楽しませ『街復興のシンボル』として活躍しています。沿岸を走るJR仙石線には、石ノ森作品で活躍するキャラクターが描かれた『ラッピング車両』が特別車両として毎週日曜日に運航されています。石ノ森作品のキャラクター達は街中に立ち、車両として走り回り震災で傷ついた故郷の人々を勇気付け、多くの漫画ファンを引き寄せ街の復興に大きな役割を果たしています。是非、訪ねてみてください。


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