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約束の海 (ベトナム独立の英雄と日本人医師の絆)



またまた固い話で恐縮です。ベトナム独立の獅子『ファン・ボイ・チャウ』氏に関わる話です。同僚のベトナムスタッフによりますと、この方は、『すべてのベトナム人が知る英雄で、教科書にて紹介されている。』そうです。なんとその方と些細ながらも接点が生じたので、今回はそれについての記述です。実習生から聞いた『体験談』です。その実習生は『建築現場』で普段通りに実習を行っていました。そんな中、お昼の休憩時間に昼食をとっていた時、同じ建築現場で、その交通整理を担当する女性の『ガードマン(ウーマン?)』も同じ時間帯に休憩することがあり、それとなく片言の日本語で互いに語り合う仲になったそうです。
彼らが『ベトナム出身の実習生』であることを知ると、彼女は自分の周辺でベトナムとゆかりのある知人がいたので、『ファン・ボイ・チャウ』というベトナム人を知っていますか?と問いかけました。『ファン・ボイ・チャウ』はベトナム人なら小学校教育で学習する『ベトナム独立の英雄』で、実習生はもちろん知っていますと返答しました。そのガードウーマンは、その英雄の日本滞在時に協力した日本人医師『浅羽佐喜太郎』との交流を描いた著書《約束の海》の著者『新井恵美子』氏と知人で、ベトナム人と聞き話題が弾んだようです。ベトナム独立に燃えるチャウ氏が日本へ密入国したのは1905年(明治38年)、小田原市近辺に小舟で流れ着いたようです。中心になって面倒を見たのは『浅羽佐喜太郎』、彼は東大で医学を学び若き頃はドイツへ留学渡航を考えていたが肺結核を患い頓挫し、気候の良い小田原市にて静養、その地に医院を開設し医療活動していた時期に、ベトナムからの客人チャウさんを迎え入れ4年間かくまったそうです。当時の日本、明治時代の中期は『近代化』が軌道に乗り西欧諸国に追いつき追い越せと意気盛んでロシアと対峙していた時期でした。『アジアの小国日本が大ロシアに勝利した』という出来事は、欧米宗主国からの独立を願うアジア諸国の若者達に大きな夢と希望を与えました。そのような環境下にベトナムのファン・ボイ・チャウは小田原(神奈川県)へ上陸し、運よく浅羽医師に庇護され4年間の武者修行に励むこととなりました。
浅羽医院の周辺には、明治維新の立役者である『大隈重信』が別邸を構え更に浅羽医師が担当医として診ていた縁があり、ベトナム独立の志士としてチャウ氏を紹介し、後に大アジア主義を掲げる時の代議士『犬養毅』に繋ぎ、200名以上のベトナム人留学生を来日させ、保護下のもとにベトナム独立の機運を盛り上げたそうです。しかし、日本とフランスが締結した協定によりベトナム本国からの送金が凍結され、困窮する留学生を浅羽医師と犬養毅はベトナムへの帰国費用を工面したりしたそうです。日本の『明治維新の志士』と『ベトナム独立の志士』の約5年間の熱き『独立塾』は国際情勢の狭間で幕を閉じたようです。1910年頃のお話でした。
ベトナムが米国に勝利したのが1975年ですから、実に65年以上をかけてベトナム独立の志士達は、西欧列強よりの『独立』を成し遂げたのですね。誇らしいお話ですね。
参考:東京新聞2022年3月24日 ネット記事


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